うお座の満月は、宇宙の青い海のようでした。

ここのところDavid Bowieの「Space Oddity」という曲をたくさんたくさん聴いていました。音もさることながら歌詞もすてきで、音と言葉が溶け合いながら流れ込んで、そこにひとつの世界をつくります。

歌詞に登場する宇宙飛行士、トム少佐。地上との交信が途絶え、宇宙に吸い込まれるように旅立ってゆきます。心配して呼びかけ続ける管制官をよそに、少佐は妻への愛を語り、宇宙船は行き先を知っているようだと語り、旅立ってゆく。

きっと聴く人によるのでしょう、もう地上に帰れないだろう彼を哀れむという感想も持てるのだろうと思います。ただ、わたしは「可哀想」という感覚をまったく持ちません。

宇宙のど真ん中で

行き先を知っている。

愛を知っている。

このことが、それだけで、比喩として、そして、それそのものとして、なんて力強いのだろう、なんて安心なんだろう、そんなふうに。同時に、地上を去ることの、切なさにも似た感動を予感します。

そんなこともあって、満月の夜は走馬灯のようなイメージを見ていました。きっとね、死と呼ばれる瞬間から生と呼ばれる瞬間へと、巻き戻すように、一気に遡るのだろうな。感動した瞬間たちを拾い集めながら。

思惑通り事が運んだとか、誰かに勝ったとか負けたとか、認められたとか認められなかったとか、失敗したとか成功したとか、よかったわるかったとか、そういうことではきっとなくて。

「わあ!青空」とか、「わあ!猫ふわふわ!」とか、「子どもかわいい!」とか、いっぱい笑った瞬間とか、ライブでわーーーと高揚した瞬間とか、チームワークで熱くなった瞬間とか、大好きな気持ちとか、とっても悲しくてたくさん泣いた瞬間とか、短期間でも最高の時間とか、そういう「感動」の瞬間をたくさんたくさん拾い集めながら遡って。

ちいさなちいさなころの、はじめて見た光、はじめて聴いた声、はじめて触れられた感触、そんなすべても拾い集めて。それをひとつのリールに納めて。

そうしたらもう胎児のわたしにかえって。まあるくなって、浮かんでいる。

そこはもう宇宙で。きっとトム少佐もそこにいる。リールは宝石箱のようで。そのリールがたくさん納められた図書館のような場所があって、色とりどりの感動がきらきらきらきら光っている。

その光が、きっと地上に届くのだろうな。きっとね。

うお座の満月は、そんなことを感じていました。


David Bowie – Space Oddity
https://youtu.be/ptVbk7r4IcA