少し日記のようなこのスタイルで文章を書くのが、なかなか心地よい。

星のことを書くにあたって、その言葉がメッセージ色を帯びることはあるし、それが求められる局面もあるのだろうけれど、メッセージというのは、個人的には何だかちょっと居心地が悪くもある。

星の世界も、結局は、そのまま、ありのまま。意味をつけなくても、星たちは変わらず瞬いているし、こちらの星よりあちらの星が良いも悪いもない。大きな光も、小さな光も、青白い光も、赤い光も、同じように愛おしい。

超巨大な星たちも、生まれたり、生命を終えたりしている。そして、そんな巨大な生命たちが、私たちの夜空には小さな宝石のように輝いている。

意味をつけるのは、名前をつけること。名前をつけるのは、結局は愛するためなのだと思う。名もなき仔猫に名前を付ける。その名を通じて、愛するということがより「地上的」になる。

星の世界に意味をつけるのも、それと似ている。宇宙的なものを、地上的に受け取るために。名前をつけて、意味をつけて、手に取る。

知りたいというのは、結局は、愛したいということの入り口なのだろう。知って、知って、知って。最後には愛だけが残って、知識たちは手放されてゆく。