「神話」がいいなあと思うのは、いろいろなストーリー展開があるから。

もちろん「いかにも」なハッピーエンドも、「いかにも」な悲劇もあるけれど、アリアドネなんて、いかにもテセウスと結ばれそうでいて、結局最後はデュオニソスと一緒になったりする。好青年なテセウスと何やら怪しいデュオニソス、ふたりを思うとなかなか意外なオチだ。けれど、わたしはこの物語が好き。

以前の記事とも通じるのだけれど、私たちは無意識のうちに一定の起承転結のパターンにとっぷりと侵食されている。その筋書き通りに進めたいといつの間にか思っている。

ミランダ・ジュライという好きなアーティストがいるのだけれど、彼女の『ザ・フューチャー』という映画は、オーディエンスが期待するであろう起承転結をすっかり無視した展開でとても爽快だった。彼女の短編小説などもお仕着せの起承転結を無視したものが多い。

「思い通り」に行かなかった時、ニヤリとできるようになったらしめたものだ。最初の「思い通り」なんてたいてい「誰かから聞いた通り」なのだから。

そのニヤリから、その人だけの道がひらけてゆく。自分だけの物語を見逃さずに見つけている。自分だけの愛の姿を見逃さずに見つけている。