愛におおきさがあるとして、それはきっと重さとは関係ないのだろう、そんなことを想ったりする。

『存在の耐えられない軽さ』という作品があって、(わたしは映画しか見たことがないのだけれど)主人公のトマシュは、なかなかどうして軽妙洒脱な男で、女性も大好きで、浮気性(おやおや)だったりもするのだけれど、妻であるテレーザのことを愛していないか?というとちゃんと愛していて、命がけの決断もしたりする。

浮気を肯定するわけではないし、それは別として。

「重い愛=おおきな愛なのだろうか?」というのはたびたび想うこと。

軽さって軽薄さと直結しやすいのだろうけれど。深くて軽いということはいつだって可能だし、軽くておおきいということも可能で。むしろ軽い方がおおきく在れるのではないだろうか。密度が濃いと凝縮して小さくなってしまうもの。

もちろん、おおきくなければいけないわけでもないし「濃密な重い愛」(愛は変幻自在だ)というのをやってみるのもアリかもしれない。

最終的には好みの問題と言ってしまえば、すべてそうなのだけれども。個人的には軽くて深くておおきな愛が好きだ、と書き記してみる。