二者択一ってマボロシだなあと想ったりする。

もちろんその限定された「時点」ではどちらかを選んでいる。例えば、コーヒーを飲みに行ったら、カフェラテとアメリカーノ、どちらかひとつを選ぶ。けれど、もう片方を注文する日もあるし、別のものを注文する日もある。そして、どちらも買わない日もある。

近くで見るのなら、どちらかしか選んでいないその「時点」があるけれど、遠くから見るのなら、結局はどちらも選んでいる。さらに、どちらも選ばない、もしている。

「私と呼ばれる、この人生」に限定して観るとそうは思えないこともあるかもしれないけれど、別の人生では選んでいること、選ばなかったこと、それらを総じて感じた結果、「この時点」では「この選択」を敢えてしているのかもしれない。

「この人生(と呼ばれる単位)」に限定してみるとしても、いつか選ばなかったことを選んでみたり、いつか選んだことをもう選ばないでみたり、そうやって結局は両方を体験していたりする。

「どちらかしか選べない」という状況は多大なドラマを生むけれど、本当のところでは、意外とどちらも選べているのかもしれない。