好きなこと、を、じっくりじっくり見ている。

好きなそれ、を、受けとっている。


しずけさへかえるほどに。じっくり、じっくり、受けとっている。


すると、違うこと、は、違うこと、だと、すっきり見えてしまう。あっという間に。違っていても、構わない。けれど、近くではない、と知っている。

そしてすぐに、好きなこと、へ、かえってゆく。


好きなこと、を、じっくりじっくり見ている。

好きなそれ、を、受けとっている。


しずけさへかえるほどに。めぐみ、は、見えている。


ちいさなひとつひとつにも。

おおきすぎて見えなかったことも。

違って見えていたところにも。

何もないように見えていたところにも。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ⿻


違和感を、ちゃんと見てあげることが必要な時期もある。


そんな時期が凪いだのなら。


「違うこと」は、背景のレイヤーに置いておいてもよいのかもしれない。


なくなりはしないし、消そうとする必要もない。コントラストが世界なのだから、その色も必要なのかもしれない。ただ、前面に取り出さなくても、よいのかもしれない。


それよりも。

好きなことを、見ている。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ⿻


好きなことを、見ている。

すると、ひかりが注がれはじめる。

仕舞われたフィルムのように眠っていたそれに、ひかりは注がれて、あちらこちらが、息吹を吹き返しはじめる。

まだ見えていないけれど、ちゃんとあって、ちゃんと生きることをはじめている。


その息吹に、わくわくする。


まだ見えていないから、たくさんがそこにある。それを知っていると、見えてきたとき、見えないままを選んだ分のことも、わかっている。

そして、姿が見えてくる。





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