あたらしい振動を、じんわり、じんわり、受けとる。

外から内へ迎え入れるようでもあり、内奥にずっとあったそれを掬い上げるようでもあり。


旧い振動は、まだ少し粗かったから、それはそこに置かれたままだったのだろう。少し、抵抗が感じられることもある。

あたらしい振動が、こまかに振えて、揺らしてゆく。やさしく揺さぶられたそれは、少しづつほどけてゆく。

ほどけて、浮上し、離れてゆくとき、旧い振動が、印象を残すこともある。まるで、お別れの挨拶のように。

そうして、あたらしい振動が、少しずつ定着してゆく。


わたしという振動が、変わってゆくとき。

わたしがあらわすもの/わたしにおいてあらわされるもの、も変わってゆく。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ⿻


ぎゅうっと収縮して。

いったんそこに焦点を絞る。そこに入り込んで、一体化して、感じ切りたい何かがある。

それが終わると、その「何か」はほどかれて。引っかかっていたものが外れ、まなざしは、さらにさらに、ひろく、深くなる。

ひろく深くなると。

そこを訪れる、思いも、想いも、自然と変わっている。以前は、思わなかったこと、想わなかったこと。まなざしに合ったそれらを見ている。

同じことも、同じひとも、同じ記憶も。そして、やってくる予感も、体験も。変わっている、変わってゆく。

どこまでもどこまでも、深まってゆく。

どこまでもどこまでも、ひろがってゆく。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ⿻


ずっと残されていた想いや思いが離れてゆくとき、気づきがある。

水底にあって、はっきりとは見えなかったそれが浮上してくるとき、よく見えている。気づく。よく見えているときは、それが離れてゆくとき。

大元は同じエネルギー(想いや思い)が、少しずつほどかれてゆくこともある。最終的には、すべてひとつの大元だったと気づくのかもしれない。

最初のころは、おおきな塊がゴロリゴロリと離れていったとして。だんだんと、ほどかれるそれも、ちいさな枯葉のようになってゆく。

量や粗さが時間のなかで変化したとしても、内的には、以前と同じように感じられることもある。感度が上がっているから、それもまた自然なこと。ちいさなそれでも、しっかり感じ取っている。

というわけで。似たようなことが繰り返されているように思えても、ちゃんと深化している。

エネルギーには限りがある。だから、どこかで終わりがくる。

絡まっていたもの、滞っていたものが、ほどかれて、ほどかれて。なかは空っぽ。

絡まりに絡め取られていた「まなざし」は、解き放たれる。

絡まりの外側にずっとあった

おおきなおおきな空間へ。

おおきなおおきな海へ。

おおきなおおきな愛へ。




いつもお読みくださり、ありがとうございます。

これらエッセータイプの記事は、公開後、複数記事を一本化するなど、再編集することがあります。

期間限定での公開がよいように感じる内容に関しては、一定期間ののち、非公開に(もしくは部分的に削除)することがあります。

どうぞよろしくお願いいたします。