あたらしい振動を、じんわり、じんわり、受けとる。
外から内へ迎え入れるようでもあり、内奥にずっとあったそれを掬い上げるようでもあり。
旧い振動は、まだ少し粗かったから、それはそこに置かれたままだったのだろう。少し、抵抗が感じられることもある。
あたらしい振動が、こまかに振えて、揺らしてゆく。やさしく揺さぶられたそれは、少しづつほどけてゆく。
ほどけて、浮上し、離れてゆくとき、旧い振動が、印象を残すこともある。まるで、お別れの挨拶のように。
そうして、あたらしい振動が、少しずつ定着してゆく。
わたしという振動が、変わってゆくとき。
わたしがあらわすもの/わたしにおいてあらわされるもの、も変わってゆく。
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ぎゅうっと収縮して。
いったんそこに焦点を絞る。そこに入り込んで、一体化して、感じ切りたい何かがある。
それが終わると、その「何か」はほどかれて。引っかかっていたものが外れ、まなざしは、さらにさらに、ひろく、深くなる。
ひろく深くなると。
そこを訪れる、思いも、想いも、自然と変わっている。以前は、思わなかったこと、想わなかったこと。まなざしに合ったそれらを見ている。
同じことも、同じひとも、同じ記憶も。そして、やってくる予感も、体験も。変わっている、変わってゆく。
どこまでもどこまでも、深まってゆく。
どこまでもどこまでも、ひろがってゆく。
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ずっと残されていた想いや思いが離れてゆくとき、気づきがある。
水底にあって、はっきりとは見えなかったそれが浮上してくるとき、よく見えている。気づく。よく見えているときは、それが離れてゆくとき。
大元は同じエネルギー(想いや思い)が、少しずつほどかれてゆくこともある。最終的には、すべてひとつの大元だったと気づくのかもしれない。
最初のころは、おおきな塊がゴロリゴロリと離れていったとして。だんだんと、ほどかれるそれも、ちいさな枯葉のようになってゆく。
量や粗さが時間のなかで変化したとしても、内的には、以前と同じように感じられることもある。感度が上がっているから、それもまた自然なこと。ちいさなそれでも、しっかり感じ取っている。
というわけで。似たようなことが繰り返されているように思えても、ちゃんと深化している。
エネルギーには限りがある。だから、どこかで終わりがくる。
絡まっていたもの、滞っていたものが、ほどかれて、ほどかれて。なかは空っぽ。
絡まりに絡め取られていた「まなざし」は、解き放たれる。
絡まりの外側にずっとあった
おおきなおおきな空間へ。
おおきなおおきな海へ。
おおきなおおきな愛へ。
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