風が起こって、雲がやって来て、雨が降って、やがてまた陽が射して。

外の景色のように、内の景色も、めぐり、めぐる。ほんとうは、内も外もないのだけれど。

どの要素も、それぞれに必要。良し悪しはない。

そんな「めぐり」を、どこから見つめるのか。

雲の下で風雨に巻き込まれるまなざしもあれば、雲のちょうど横のあたりから見るまなざしもある。

雲と青空の間にあるまなざしもあるし、空が青くなくなるところまで引いているまなざしもあるのだろう。

良し悪しはない。

けれど、いつでも青空が目に入っているのなら、安心なのかもしれない。時折すっかり忘れてしまうことがあるとしても、すぐに思い出せると安心なのかもしれない。

その場所にあるのなら。

めぐみは、ちゃんと見えている。

乾いた大地が雨粒を求めるように、涙を流すことも、ときに大切。

それは、慈雨となる。


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涙が、たくさん出ることがある。

「泣くのは、悲しいから。悲しいのは、よくないこと」そんなラベリングがどこかにあるようで、思考は一瞬、立ち往生する。

そんな思考を傍に置いて。

じっと見つめていると、とてもとても感動しているのだ、と知る。


遠くにある時間たちが、つながる感覚。

奥深くから湧く、うれしさ。

悲しいのではないのだけれど、どこか悲しみにも似た何か。

ずっとずっと知っていた、という、しずかで、確かな、感覚。

とてもとてもおおきなものを贈られていたのだ、という、気づき。


これだけでは全く足りないし、あまりに断片的。ひとことふたことでは言い表せないし、そもそも言葉では言い表せない。

既存のカテゴリーに嵌め込もうとすると、何ひとつ掬われずに、すっかりこぼれ落ちてしまう。

かろうじて「感動している」とだけ言える、何か。

あちらに、こちらに、そっと置かれている、贈り物たち。

そんな何かとめぐりあう、生きていることの不思議ワンダー





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