風が起こって、雲がやって来て、雨が降って、やがてまた陽が射して。
外の景色のように、内の景色も、めぐり、めぐる。ほんとうは、内も外もないのだけれど。
どの要素も、それぞれに必要。良し悪しはない。
そんな「めぐり」を、どこから見つめるのか。
雲の下で風雨に巻き込まれるまなざしもあれば、雲のちょうど横のあたりから見るまなざしもある。
雲と青空の間にあるまなざしもあるし、空が青くなくなるところまで引いているまなざしもあるのだろう。
良し悪しはない。
けれど、いつでも青空が目に入っているのなら、安心なのかもしれない。時折すっかり忘れてしまうことがあるとしても、すぐに思い出せると安心なのかもしれない。
その場所にあるのなら。
めぐみは、ちゃんと見えている。
乾いた大地が雨粒を求めるように、涙を流すことも、ときに大切。
それは、慈雨となる。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ⿻
涙が、たくさん出ることがある。
「泣くのは、悲しいから。悲しいのは、よくないこと」そんなラベリングがどこかにあるようで、思考は一瞬、立ち往生する。
そんな思考を傍に置いて。
じっと見つめていると、とてもとても感動しているのだ、と知る。
遠くにある時間たちが、つながる感覚。
奥深くから湧く、うれしさ。
悲しいのではないのだけれど、どこか悲しみにも似た何か。
ずっとずっと知っていた、という、しずかで、確かな、感覚。
とてもとてもおおきなものを贈られていたのだ、という、気づき。
これだけでは全く足りないし、あまりに断片的。ひとことふたことでは言い表せないし、そもそも言葉では言い表せない。
既存のカテゴリーに嵌め込もうとすると、何ひとつ掬われずに、すっかりこぼれ落ちてしまう。
かろうじて「感動している」とだけ言える、何か。
あちらに、こちらに、そっと置かれている、贈り物たち。
そんな何かとめぐりあう、生きていることの不思議。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
これらエッセータイプの記事は、公開後、複数記事を一本化するなど、再編集することがあります。
期間限定での公開がよいように感じる内容に関しては、一定期間ののち、非公開に(もしくは部分的に削除)することがあります。
どうぞよろしくお願いいたします。