森の中、イゾルデは息をした。
夜の森のざわめきがイゾルデを包む。すぐそこにある木々が、遠いところにある木々が、すべての木々が、一斉に風と踊っている。イゾルデは目を閉じて、それを聴く。
森は深く、どこまでも深い。ここがどこなのか、まったくわからない。けれど、風に踊る森に抱かれていることに、イゾルデは深く安心をした。きっと大丈夫。
何かから逃げていたのか。それとも、何かに向かっていたのか。記憶は曖昧だった。ぼんやりとしたカタチにならない色彩は浮かんでくる。その色で、それが喜びであったのか、悲しみであったのか、そんなことも何となくわかるような気がする。
浮かんで来る色彩はいつも混ざり合っていて、そこには様々な想いがあるように感じられた。悲しいと嬉しいとそれ以外の様々な想いは、揺らめきながらひとつになろうとし、そしてまた離れ、そうやって永遠に運動を繰り返していた。
その色彩を辿りながら、その変わりゆく色たちをイゾルデは心の中で追いかけた。でも、確固たる輪郭のある答え、記憶、そうした何かに出会うことはなかった。
揺らめく想いを追いかけながら、イゾルデは目を瞑る。森のざわめきを聴きながら、その色彩を追いかける。何かが思い出せそうな、そんな予感がして、名前をつけるそばから逃げてゆく色たちをどこまでも追いかける。木々は風に揺れて、揺れながらひとつになって、森という全体としての生命をそこに差し出そうとしていた。
夏の始まりの恥じらうような暑さが、森の空気の冷たさと出会う、その瞬間が感じられる。熱気と冷気は、混ざり合うふりをしながら、交互にイゾルデの肌を通り過ぎてゆく。空気のその正直さに、イゾルデは目を瞑りながら微笑んだ。
木々のざわめきが止むと、あちこちで様々な虫たちが羽をこすって音を立てているのが聴こえて来る。遠くでフクロウも鳴いている。森に棲む生命たちが、静かに音を立てている。
そして一瞬、完全な静寂が訪れる。するとまた、あの魔法のような風が中心から起こって、森の全体に広がっていった。イゾルデは、その音の物語を目を瞑ったまま聴いていた。
イゾルデというのは、きっと本当の名前ではないのだろう。本当の名前は思い出せない。それでも、森の中でひとり、自分自身に語りかけるのに、名前が必要だった。名前。名前。ふと、イゾルデという言葉が頭を過る。
イゾルデ。
自分をそう呼んでみて、そこに感じられる、半分の違和感と、半分の希望のようなあたたかさにイゾルデは満足した。
うん、イゾルデでいい。
コンバースのスニーカーはここまでの道のりで、あちこちが泥で汚れていた。ジーンズに白いTシャツ、その上にパーカーを羽織って、小ぶりのナップサックを背負っている。ナップサックの中には、ミネラルウォーターとりんご、バー状のビスケットに、ハンカチが一枚。それ以外は何も入っていなかった。
森に入ってからのことは克明に思い出せる。イゾルデはひとつひとつのシーンを回想した。昼の森、木々の枝の隙間から溢れる光。途中で見たせせらぎ、そこで飲んだ水。せせらぎに掛けられた丸太。そこに生した苔。光の筋の一本一本、苔のカタチのひとつひとつまでくっきりと思い出すことができた。
けれど、そこからさらに記憶を遡ろうとすると、透明で頑丈な壁に阻まれてイゾルデは森に引き戻された。森の外のこと、森に入るまでのことは、自分の名前も、家族も、年齢も、何一つ思い出せなかった。
ここには鏡もないから、自分の顔もよくわからない。昼間、揺れる水面に映る顔を見ながら、きっと二十代後半なのだろうと考えた。けれど分からない。老けた十八歳なのかもしれないし、若々しい三十五歳なのかもしれない。
顔を見つめる間、流れる水に水面は揺れて、イゾルデの顔の輪郭はカタチを変え続けた。記憶を辿れないイゾルデのように、映し出されたそれも曖昧な姿形しか差し出さなかった。その曖昧さに、イゾルデは安心した。そもそも、世界とは曖昧なものではないのだろうか。
森の外の記憶は蘇らないけれど、そこにあったであろう、確固として定義された言葉たちの不自由さを、イゾルデは体のどこかで覚えていた。名付けきれない物事を名付け、定義しきれない状況を定義する。そして、はみ出して溢れたものたちは、掬われることなく損なわれてゆく。人々は、何かが損なわれたことになど気づかず、あるいは気づかないふりをして、毎日を続けてゆく。
三日月が薄ぼんやりと森に光を落としていた。大きな木の根元の、絡まり合った根と根の間に体を横たえ、イゾルデは目を閉じた。
夏なのだろう。森の中はひんやりとしているが、それでも寒さに震えることなく、心地よい温もりを感じながら目を閉じることができる。もしくは、ここは南にある土地なのかもしれない。木の根が地上にぐるぐると張り出した様子はどことなくエキゾチックだった。
自分が生まれ育った土地なのか、暮らしている場所なのか、はたまたたまたま訪れた場所なのか。考えてみてもやはりわからなかった。ただ、物事を認識することはできるし、それぞれの名前も覚えている。それに対する感覚、例えばこの木がエキゾチックであるといった感覚を持つこともできる。それらも記憶とつながっているのだろうし、その部分の記憶は、ゆえにしっかり残されている。
ただ、個人的な出来事に関する記憶と繋げようとする時、そこに透明な壁が現れて、イゾルデは容赦なく跳ね返された。「私は誰なのか」そのことにまつわる記憶だけがすべてごっそり、透明の容れ物に入れられて盗まれてしまったかのようだった。
土の香りと木々の香りは心地よくイゾルデを包んだ。感覚のひとつひとつが閉じてゆく。そして、眠りへと入ってゆく。私が誰なのかわからないということは、私は誰でもあって、誰でもなく、それとしての名札がないのであれば、この森の景色の一部として不可分であってもよいのだ。
森の景色の一部。
変わり続ける森の、生き続ける森の、景色の一部。
その生命の一部。
その感覚にイゾルデは安らいだ。安らぎながら、安らいだからか、「誰か」であった頃の感覚がふわっと蘇った。
そこでは、健気さと傲慢さが同居していた。「誰か」であろうとすること、それ自体が不可能であるように感じられるにも関わらず、無理な何かを信じて果敢に挑もうとする、その健気さ。その「誰か」はたった一部であるにも関わらず全てであると信じようとする、その傲慢さ。そして、どこかで本当の全てを知っている、祈るようなこころ。それらが混ざりあった感覚。
それゆえに強いられる戦いに心を痛め、痛めると同時に「誰か」という存在の意義を与えられる。そうした感覚の連続が、遠い遠い景色のように、眠りに落ちてゆくイゾルデの脳裏にふわっと浮かんで、浮かんでそして、消えていった。
「きっとそれも、私だったのだろう」
それが最後に思ったことだった。