ぐっすりと眠ったせいか、足取りは軽かった。まるで目覚めに出会った仔鹿のようだ。イゾルデはそう思った。「森を彷徨っている」ということは、きっと「よくないこと」なのかもしれない。そう考えてみたが、その思考は、どこか遠いところ、霧の向こう、ベールの向こうにあった。
ここに軽やかに歩んでいる私がいる。木々の透き通る香りを嗅ぎながら。ふかふかした獣道の踏み心地を感じている私がいる。それだけでイゾルデの今はいっぱいになっていた。喉が渇いたら水の音のする方へ行けばいい。それだけだ。
霧の向こうの思考をぼんやりと追いかけてみる。姿はよく見えない。形もよく分からない。その様子は、質感や色で感じられる。黒く重いもの。鉄のように固いもの。剣のように鋭いもの。ぬめぬめとした水垢のようなもの。そこに手を差し込むのなら、引きずられ、切られ、纏わり付かれてしまう。そうした様々。
そんなものたちを私は纏っていたのかもしれない。名前とともに。そんなものたちを纏って、それが立派なことのように思っていたのかもしれない。そうして、引っ張ったり、引っ張られたり、切ったり、切られたり、自らをその勢いに任せていたのかもしれない。イゾルデは思った。思いながら、歩いた。
それらを纏うことで、「私」が出来上がるように思っていたのかもしれない。それを見せたかったのかもしれない。けれど、そうすればするほどに、重くなり、不自由になり、苦しくなり、孤独になったのだろう。人々はそこにいる。大切な誰かもそこにいる。でも、切り離されてゆく。纏えば纏うほどに、切り離されてゆく。
そうした質感が、イゾルデのお腹の辺りにじんわりと残っていた。それが具体的にどんな出来事だったのかはわからない。ただ、自分の名前があったそこには、そんな纏があったように感じた。「私」のまわりにくっついたそれら。
森にあって、イゾルデは独りだ。けれど不思議と孤独ではなかった。木々の香りを嗅ぐ時。イゾルデは木々そのものだった。そして森とひとつだった。小川のせせらぎに手を浸す時。イゾルデは小川そのものだった。そうして小川と、ひいては森と、ひとつだった。仔鹿と出会う時。イゾルデは仔鹿の瞳に自分自身を見た。生命と生命として。ひと続きの生命として、仔鹿の鼓動に自分の鼓動を感じた。
独りだけれど、孤独ではなかった。森のすべてとつながっていることが、いつの時もありありと感じられた。森は私を守りもするだろうし、見捨てもするだろう。そのいずれであったとしても。それでも私は森とつながっているし、森に愛されている。生かされることは、愛されることで、死んでゆくことすら、愛されることに包摂されているのだ。イゾルデは思った。
白いキャンバスに砂で字を書くように。考えたちはふわりと浮かんで、そして風に吹かれて消えてゆく。カタチを留めない。移ろいゆくもの。変わりゆくもの。感覚だけが質感となって体に残ってゆく。森と繋がっているという安心感は、その考えが消えた後も、体に残り続ける。私は森を信頼している。イゾルデは思った。そして、あくまでも歩き続けた。
入ってゆこうとしているのでも、出てゆこうとしているのでも、どちらでもいい。今はただ、ここを歩き続けること。それだけだ。歩くほどに、森を感じ、森を感じるほどに、ひとつになってゆくのがわかる。見るほどに、嗅ぐほどに、聴くほどに。そうやって、森とひとつになってゆく。
針葉樹林を歩き続けると、その先に、光が注ぐ開けた場所が見えてくる。木々はそこをそうやって大切に開くために、その場所を守るように取り囲んで繁っている。近づくにつれ陽光が眩しく差し込んで、イゾルデは思わず目を細めた。
そのぽっかりと開けた場所のまん中には、大きな石があった。イゾルデの胸の高さぐらいある、そら豆のような形をした大きな石。上の方はカーブを描き、まん中が少しだけ窪んでいる。石に手をやりながら、四方をぐるりと一周してみる。足を掛けて上に登れそうなちいさなくぼみを発見し、右足、左足と順に掛けて、ひょいと上に登ってみる。
森のまん中であることには変わりなかった。背の高い木々はどこまでも繁っていて、石に乗ったところで遠くが見渡せるわけでもない。石の上に立って四方を見渡してから、イゾルデは、石のまん中の窪んだ辺りに腰を下ろして胡座をかいた。石は太陽に照らされて、お尻の下からほくほくと温かさが伝わってくる。
ずっと薄暗い森の中にいたからだろうか。太陽の光があることが、くっきりと感じられた。空は結局晴れることに決めたようで、小さな雲を浮かべながら青空を広げている。高いところに、大きな翼を広げてゆっくりと旋回している鳥がいる。遠いところから鳥の鳴き声が聞こえる以外、あたりはしんと静まり返っている。
歩くことを止めたからかもしれない。静寂の向こうに、小さな音がいくつか聞こえて来る。歩いている間、森の木々に守られている間は聞こえなかった音たち。右の方から水の音が微かに聞こえてくる。その方角に小川は続いているのだろう。小川沿いに下流へと下れば、きっとどこかに出るはずだ。
そう思ってみて、森がもう少しで終わってしまうだろうことが感じられた。もう少しで、この森は終わってしまう。その少し先に里がある、そんな感じがする。地図もないし、コンパスもない。けれど、その予感は確信となってイゾルデの内側に広がった。
安心よりも、寂しさがあった。入ってゆこうとしていたし、出てゆこうともしていたんだ。イゾルデは思った。森を離れることが寂しく、そして、森の外に出ることが怖かった。森のことしか覚えていない。森の向こうにあった世界、その記憶。質感だけを残しているそれらはどれも、錆び付いた鉄のような味がした。出てゆこうとしている。けれど、出たくない。彷徨いの終わりを予感して、そう知る。
先を急ぐ必要はないのかもしれない。イゾルデはそう思い始める。ゆっくりゆっくり歩みを進めればいい。いっそ森に住んでしまえばいいのではないか。その思いは浮かんで、けれどすぐに消えてゆく。ここに暮らすのは違うのだ。通り過ぎる者として、私はここにいることをゆるされている。
森とともにあって、森と繋がることをゆるされている。けれど森は、ここに留まる者としては私を認めないだろう。ここは夜の世界とつながった獣たちの世界なのだ。太陽の光がある時には歩むこともゆるされる。川の水を飲むことだってゆるしてくれる。森は寛容で、けれど、そこには厳然としたルールがある。夜には必ず眠りに落ちること。暗がりの中、いつまでも灯りを焚かないこと。森を暗闇へと返すこと。その掟を破ることはゆるされない。
イゾルデのナップサックには、ライターもマッチも懐中電灯も入っていなかった。日が暮れたら立ち止まらざるを得ない。暗くなったら、目を開いていても、閉じていても、辺りは暗闇なのだ。人間の意志とは関係なく、暗闇は訪れ、覆う。その掟を守れない人間たちは、里へ出て街をつくり、暗闇に灯りを灯したのだろう。
旅人として、この森に受け入れられている。イゾルデにはそのことが初めから分かっていた。そして、今朝の仔鹿が、その真意をはっきりと伝えてくれたように感じていた。ここにいてよい時間は有限なのだ。私が属していた世界に帰る時は遅かれ早かれやって来る。
歩んで来たペースで歩み続ける。急ぎ過ぎず、遅れ過ぎず。焦って急ぐ必要はない。けれど、意図的に歩みを緩める必要もない。ここまで歩いて来たリズム。それがこの森での私のリズムだ。そのリズムを刻み続ける。鼓動のように。呼吸のように。そうすることが、ここにあって、森に受け入れられるということなのだろう。
陽光にあたためられた石の温もりを感じながら。イゾルデは森の闇から光へ、そして、光から闇へとこころの中で旅をした。夜の闇が降りて、朝の光が射し込む。そしてまた、夜の闇がやって来る。揺らぎながら、けれど、消して損なわれることのないそのリズム。
流れてゆく小川の音。水はちいさな岩に当たって弾けて散って。カエルが突然飛び込み、木の葉がひらひらと舞い降りる。予測できないたくさんの出来事。そんなすべてを、まるでそれが起こることを予期していたかのように受け入れながら、小川の流れのその全体は、少しも迷うことなくそのリズムを叩き続けている。
そうやって折り重なるリズムの中に、私の歩みのリズムも乗っているのだ。イゾルデはそう感じた。たくさんのたくさんの森のリズム。そのリズムたちと交わって。どこからやって来たのか、入ってゆくのか、出てゆくのかとか、そうしたことは一切関係ない。
森にあって、森のリズムとともに、森のリズムとして、私のリズムがある。それを知っていることで、私は繋がり、守られる。何も覚えていないことは、むしろ好都合なのかもしれない。真っ白な空間に、音楽だけが鳴っている。そんな光景と似ている。イゾルデは思った。
そら豆のカタチをした石の上に座って、イゾルデは想いを巡らせていた。どのぐらいそこでそうしていたのだろう。東側から斜めに射し込んでいた陽の光は、いつの間にか上方へ移動していた。遮るものはなにもなく、太陽の光はただただ真っ直ぐ、イゾルデの頭頂に向かって降り注いでいる。イゾルデが目を細めながら太陽を見つめたその時。
大きな光がスパークして、あたりは真っ白になった。