最初に頭から痛みが伝わってきて、そして、体の節々がきしきしと音を立てていることに気づく。こんなことに気づいてしまうのなら、また眠ってしまった方がよいのではないか?まどろみながら眠りに戻ろうとするが、一度覚めてしまったものをもとに戻すことはできないようだ。
閉じられた瞼を開くと、真っ白な光が飛び込んで来た。一瞬くらりとする。また気を失うのではないか。そんな考えがイゾルデの脳裏を過るが、白い光は少しずつ、色彩に取って変わった。緑の森と青い空が光の中から現れる。
イゾルデは石の上に横たわっていた。頭は右耳を下にして石に置かれ、丸まった体もまた石の上に横たえられていた。太陽は天頂を過ぎて、斜めから射し込んでいる。昼間を過ぎて、午後になったのだろう。体中が熱を宿していて、腕の中にも、脚の中にも、背中にも、太陽が感じられた。
少しずつ体を起こしてみる。頭はずきずきするが、出血しているわけではないようだ。石にも血は付いていないし、触ってみても外傷はなさそうだった。倒れ込んだわけではなく、無意識の内に横たわったのだろう。体を起こし、石の上に座ってみるも頭痛が酷く、頭の中で銅鑼が鳴っているかのようだった。体中に熱が取り込まれていて、吹きそよぐ風すら熱風に変えてしまいそうだった。火に焼けた石のようだ。
熱中症なのだろう。木陰をずっと歩いてきたのに、この広場に出て、太陽の熱に身をさらし過ぎたのだ。イゾルデは考えた。水分を補って、体を冷やさなければいけない。ナップサックからペットボトルを取り出して、水を半分ほど飲む。喉が渇いているわけではない。けれど、今、水を飲む以外にやるべきことは見つからなかった。
川に向かって歩かなければ。そこで、水を汲んで飲んで、体を冷やそう。小川の音は小さいながら相変わらず右の方から聞こえてくる。太陽が傾いてゆく方向。西の方角に、小川があるはずだ。
イゾルデはずきずきする頭を抱えたまま、ナップサックを手に、意を決して石の上から飛び降りた。着地した時の衝撃で、予想通り頭がずきりと痛み、思わずぎゅっと目を瞑る。それでも、ここで熱せられ、乾いていてはいけない。顔をしかめながらイゾルデは西の方角を目指す。太陽が降りてゆこうとする方向へ。
木々に遮られることのない太陽の光は、どんな嘘も暴いてしまうかのように、隅々にまで光を注いでいた。すべてが照らされていて、眩しかった。それはそれですばらしいことであるようにも思う。でも。木陰が、暗がりが必要なのだ。イゾルデは歩みを早めた。開けた空間の西の端に差し掛かると、ちいさな獣道が見えて来る。あの道を進んでみよう。小川の音のする方へ。イゾルデはまた、鬱蒼と生い茂る木々の中へとその身を沈めた。
木々は示し合わせたかのように折り重なって、その下に影を作り出している。葉の影、枝の影、幹の影。それらは重なって、そこここに濃い影を広げている。木々とともにあるということは、それがつくる影とともにあるということ。暗がりには、秘密や、嘘や、敢えて言葉にはしないこと、そうしたことが潜むのだろう。でも、だからこそ暗がりが必要なのだ。光を和らげるもの。迷いを包むもの。悲しみを抱くもの。過ちをゆるすもの。
入り乱れる針葉樹と落葉樹の隙間を縫うように走る細い獣道は、途切れ途切れになりながらも、せせらぎの音のする方へと伸びているようだった。ずきずきする頭と熱せられた体を抱え、イゾルデは先を急ぐ。午後を過ぎて夕方に向かってゆく森は、ざわざわと音を立てはじめていた。夕方が近くなると風が起こるのだ。これまでもずっとそうだった。
風が起こって、木々がざわめきはじめる。枝はやがておおきくしなって、木々は右へ左へ揺れながら、そのカタチを大胆に変えてゆく。上を見上げると、高いところにある枝が、大きく大きくしなっている。どこからともなく現れた厚い雲はまず太陽を覆い、やがて現れた雲たちが空の所々を覆い始め、あたりは次第に薄暗くなってゆく。
風にざわめく木々の音の合間で、小川のせせらぎは小さな鈴の音のように鳴っていた。頭痛はますます酷くなり、一歩一歩大地を踏みしめる度に、その振動が頭にずきんずきんと響く。イゾルデが小川のせせらぎの音を聞き逃すことはなかった。細い細い糸を辿るように。その小さな音を伝って、イゾルデは小川へと導かれていった。
遠くで雨が降り出したのかもしれない。乾いた土が雨を迎える匂いがどこからともなくしていた。遠い遠い空で、微かな音が震えている。まだ雷とは呼ぶことのできぬ生まれる前のそれが、空のまん中に宿ってこの先どうするかを決めかねているかのような音だった。森はいつもの午後よりもざわめき立っているようだ。夕立が来るのかもしれない。イゾルデが覚えている数日間の中で、雨に降られたことはなかった。
イゾルデの脚はますます早く、獣道を進んでゆく。少し下って、また少し上って。踏み固められていないふかふかの道なき道はやわらかく、ところどころに木の根がむき出しになって這っている。急ぐほどに木の根に足もとをすくわれ、つまづきそうになりながら、バランスを取り直し、割れそうな頭を抱えて先を急ぐ。
小川の音はどんどん大きくなって、やがて、木々の向こうに水の流れが見えてくる。数日前に見た時よりも、流れは幅を広げているようだった。あの時よりも下流に出たのだろう。獣道はそのまま小川のほとりへと続いていた。森の中よりも陽が差すからだろうか、川岸には名もない草が緑色をひろげ、小さな花を咲かせている。イゾルデは草木を踏みつけないように、大股で一歩、二歩と飛ぶようにほとりを歩き、小川の淵に立った。
深さは三十センチ程度だろうか。ゆっくりとした透明な流れは、川底をくっきりと見せている。イゾルデは靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ジーンズの裾を巻くり、ナップサックからペットボトルを取り出して、流れへと入っていった。